THE DESIGN SCIENCE FOUNDATION

The Design Science Foundation

DESIGN SCIENCE_02 概要

『新約聖書』の『使途行伝』第9章18 節にある一文に由来する一文──「目から鱗が落ちる」。急に物事の事態がよく見え、理解できるようになるということだが、デザインは、そして科学もまた、他からの示唆を得て気づくことがアイデアの起点にあり、その気づきを具体化することで、さらに多くの人に物事の真理や事態が見えるようになる。


「デザインは科学である」と訴える『DESIGN SCIENCE02号のテーマは「平和とデザイン」である。デザインが、そして科学やテクノロジーが平和をたらす一方で、世界を混乱させているとしたら……。そもそも平和とは? さらに、自己を知るとは?


世界的な危機をデザイン×サイエンスへの「問い」として受け止め、デザインや科学が平和に貢献するための「気づきの在処(ありか)」をさぐる。


深澤直人
デザイナー/ THEDESIGNSCIENCEFOUNDATION創設者

1956年、山梨県生まれ。1980年、多摩美術大学美術学部デザイン科立体デザイン専攻プロダクトデザイン専修卒。シリコンバレーの産業を中心としたデザインの仕事に7年間、従事した後、1996年に帰国。2003年、NAOTO FUKASAWA DESIGNを設立。多摩美術大学副学長。日本民藝館館長。世界を代表するブランドや日本国内の企業のデザイン、コンサルティングを多数手がける。良品計画デザインアドバイザリーボード。米国IDEA金賞、ドイツiF賞金賞、英国D&AD金賞、毎日デザイン賞、織部賞、イサム・ノグチ賞など受賞多数。2022年に一般財団法人THE DESIGN SCIENCE FOUNDATIONを創設。著書に『ふつう』(D&Department Project、2020年)、『AMBIENT 深澤直人がデザインする生活の周囲』(現代企画室、2017年)、『デザインの輪郭』(TOTO出版、2005年)など、共著に『デザインの生態学──新しいデザインの教科書』(東京書籍、2004年)、『デザインの原形』(六耀社、2002年)がある。

「世界3が潰されてしまっているのですよ。『自分の心』という世界があることすら、もう確信を持てずにいるのではないでしょうか。つまり、人に認めてもらわないと価値を感じられない。若い人は特にそうですね。世界はもともと3つあるのだということが確信になっていないのです」(養老孟司)──


20世紀の科学哲学者カール·ポパーは世界を3つのカテゴリーに分ける「三世界論」を唱えた。世界1は物質の世界。世界2は言葉や論理など誰にでも通用する世界。世界3は必ずしも万人に通用するわけではない個人の心の中の世界。現代は世界2が非常に肥大化している時代であり、SNS は世界2に属する現象の典型である。


ポパーの三世界論の視点から、感覚、身体、自然と人工物、哲学が看過している人間の意識に固有の特徴である「イコール」という機能の発明、認知科学における「心の理論」を討議。「日常」の意義と現代を生きる私たちの陥穽、デザイン/クリエイティブの位置と機能、そして力を平易に、深く解き明かす対話。


養老孟司+深澤直人

養老孟司

東京大学名誉教授

 

1937年、鎌倉市生まれ。1962年、東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。1989年、『からだの見方』(筑摩書房、1988年)でサントリー学芸賞を受賞。1995年、東京大学医学部教授を退官し、同大学名誉教授に。著書に、『唯脳論』(青土社、1990年)、『身体の文学史』(新潮社、2010年)、『人間科学』(筑摩書房、2002年)、『バカの壁』(新潮社、2006年)、『死の壁』(同、2004年)ほか多数。『バカの壁』は460万部を超えるベストセラーとなり、2003年の新語・流行語大賞、毎日出版文化賞特別賞を受賞した。趣味は昆虫採集。現在は、多分野で活躍しつつ、東南アジアを中心に昆虫の世界を探訪する日々を過ごしている。

デザイナー·中島英樹氏のメールで伝えられた、著者の名刺デザインにおける書体、字間、印刷法、色、紙質、手触りの選択。著者はこのメールを「暗記するほど読んだ」と記す。それは「このメールが私にとって『デザインとは何か』ということだからだ」と。


そして初めてヨーロッパを訪れた時の経験──「それはイタリアのミラノだったのだが、『おや?目が疲れないな』と思った。日本にいるときは日本語の文字が目に入ってきて理解することができるからかな?と思った。でも違った。単に目に入る全てが美しいからだった。薄汚れた場所さえ目に優しい。これが、美しさを中心に生きてきた人たちの街なのか、と感動した」。


「混沌の中の美、それがいかに上級のことだとわかっていても、己の魂に逆らわずに永遠にたどりつかない完成を目指し一歩一歩進んでいきたいと思っている」と語る著者が伝える、人生のQOLに直結するデザイン、そのかけがえのない力。


吉本ばなな
小説家

1964年、東京生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。87年『キッチン』で第6回海燕新人文学賞を受賞しデビュー。88年『ムーンライト・シャドウ』で第16回泉鏡花文学賞、89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で第39回芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で第2回山本周五郎賞、95年『アムリタ』で第5回紫式部文学賞、2000年『不倫と南米』で第10回ドゥマゴ文学賞(安野光雅・選)、2022年『ミトンとふびん』で第58回谷崎潤一郎賞を受賞。著作は30か国以上で翻訳出版されており、イタリアで93年スカンノ賞、96年フェンディッシメ文学賞〈Under35〉、99年マスケラダルジェント賞、2011年カプリ賞を受賞している。近著に『下町サイキック』がある。noteにて配信中のメルマガ「どくだみちゃんとふしばな」をまとめた文庫本も発売中。

「デザインとは、ある行為を望ましい予知できる目標へ向けて計画し整えるプロセス一般である」(V·パパネック『生きのびるためのデザイン』)。この定義は兵器や戦争のデザインに非常によくあてはまり、戦争とデザインは相性が良いと著者は語る。「翻って」と著者は問う、「平和とデザインはどうなのだろう。平和を、望ましい予知できる目標へ向けて計画し整えるという観点でとらえることができるだろうか」と。


『暮しの手帖』創刊者·花森安治はB29のジュラルミンの機体を美しいと感じたことを吐露する一方、「平和な公園」にある切り株の形状を模したコンクリートの杭に醜悪さを感じ取っていた。平和のデザインは、戦争や兵器のように達成すべき目標の明確な設定が難しく、まがいもののデザインに堕するかもしれないのである。


しかしなお、デザインの可能性はあるだろう。ただし、「日常の小さな選択、毎日の生活を大切にする心、社会的な結びつきや相互理解、信頼関係といったかならずしも明瞭ではないものにひとつひとつ向き合っていく気の遠くなるようなプロセス」の中に──


平和のデザイン、その陥穽と可能性を戦争のデザインから逆照射する。


暦本純一
情報科学者

1961年、東京都生まれ。1986年、東京工業大学理学部情報科学科修士課程修了。博士(理学)。日本電気、アルバータ大学を経て、1994年よりソニーコンピュータサイエンス研究所に勤務し、現在は同研究所フェロー・チーフサイエンスオフィサー、ソニーCSL京都リサーチディレクター。2007年より東京大学大学院情報学環教授(兼 ソニーコンピュータサイエンス研究所)。専門はヒューマンコンピュータインタラクション、ヒューマンオーグメンテーション。世界初のモバイルARシステムNaviCamや世界初のマーカー型ARシステムCyberCode、マルチタッチシステムSmartSkin の発明者。著書に『妄想する頭 思考する手──想像を超えるアイデアのつくり方』(祥伝社、2021年)などがある。

人間とロボットの不和を描いたC·チャペックの戯曲『R. U. R.』から読み取るべきはロボットの脅威ではなく「人間が正気を失うさま、そして生き残った人間が正気を保とうとする悲喜劇」であると著者は語り、次のように問う。「正気とロボットはどのように関係するだろう?」と──


人間のもつ「自己受容感覚」をロボットに取り入れようとする現在のやわらかいロボット研究(ソフトロボティクス)の先に著者が見据え、制作を手がけているのは「インフレータブルロボット」と呼ばれる、風船のように柔軟な膜を空気の圧力で内側から支える構造をもつロボットである。


「ロボットを見た人、触れた人を楽しませ、感動させたい。感情に作用する存在でありたい。しかし多くの場合、感情が正気を失わせる。自己受容感覚とはまた別に、自己『感情』受容感覚を持つべきだろう。……人間らしい感情はときどき正気を危うくするから、感情を認識することが次の時代に必要なことだろう。やわらかいロボットはそれに寄り添ってくれるはずである」


広い意味でロボットは「人間の子」で、ロボットという個性を持った人間であるという考え方もあると語り、ロボット研究の先端を切り拓く著者が、まったく新しいロボットのあり方、ロボットと人間の関係、そして平和の基礎となる人間の正気それ自体を鋭く問う論考。


新山龍馬
ロボット研究者

1981年、北海道生まれ。ロボット研究者。2005年、東京大学工学部機械情報工学科卒業。2010年、東京大学大学院学際情報学府博士課程修了、博士号取得。2010年から2014年まで、マサチューセッツ工科大学(MIT)コンピュータ科学・人工知能研究所、メディアラボ、機械工学科で研究員。2014年より東京大学大学院情報理工学系研究科知能機械情報学専攻・講師。2022年、明治大学理工学部機械情報工学科・専任講師、2023年同大学・専任准教授、現在に至る。生物規範ロボットおよびソフトロボティクスの研究を主軸として、ディジタルとフィジカルをシームレスに接続するロボティクスの開拓を目指す。著書に『やわらかいロボット』(金子書房、2018年)、『超ロボット化社会──ロボットだらけの未来を賢く生きる』(日刊工業新聞社、2019年)がある。

『スター·ウォーズ』でジェダイの騎士が持つ、無から生まれる光の剣、ライトセーバー。文字とその読み書きが抽象的·構造的な思考様式を人間に与えたテクノロジーであることを解明したW·J·オング『声の文化と文字の文化』。主人公の機械生命体が自身の頭脳と生命の根源が空気圧によって駆動していることを発見し、宇宙が平衡状態に辿り着くとともに彼らの終末が訪れる運命にあることを悟るテッド·チャンの小説『息吹』──


「性質がもたらす多様なふるまいを精密に描写し続けることで、ある秩序が立ち現れる。その体系を貫く内部論理の単純さと、そこから生まれる現象の複雑さ――このコントラストが我々にとっての『自然たるもの』を直感させ、奇妙な馴染みやすさを与えているのではないだろうか」


コンピューターのプログラマーでもある著者がコードを介して想像を秩序化する営みのなかで掴み取った、独特の精微さと馴染みやすさを湛えたアウトプット=「Imaginary Nature」の創造原理と、私たちの日常を別角度から再観察する新しい眼を素描する。


中村勇吾
インターフェースデザイナー

1970年、奈良県生まれ。インターフェースデザイナー/映像ディレクター。東京大学大学院工学系研究科修了。多摩美術大学教授。1998年よりウェブデザイン、インターフェースデザインの分野に携わる。2004年にデザインスタジオ「tha ltd.」を設立。以後、数多くのウェブサイトや映像のアートディレクション/デザイン/プログラミングの分野で横断/縦断的に活動を続けている。主な仕事に、ビデオゲーム「HUMANITY」、ユニクロの一連のウェブ…ディレクション、KDDIスマートフォン端末「INFOBAR」のUIデザイン、NHK教育番組…「デザインあ」のディレクションなど。主な受賞に、カンヌ国際広告賞グランプリ、東京インタラクティブ・アド・アワードグランプリ、ADCグランプリ、TDCグランプリ、毎日デザイン賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞など。

「人間だけに利益をもたらすデザインから、他の生き物を含めて互いに利益を得られるようなデザインへと、私たちの仕事の視野を広げる必要があると痛感している。そうした新しいフロンティアは、人間中心のデザインではなく、生命中心のデザインと呼ぶ方がいいかもしれない」──


1980 年頃には人間の科学とデザインは別の世界に棲んでいるようだったと語る著者は、「デザインと科学が共有する基礎的な活動」として、謙虚な態度、対象を観察して熟考する好奇心、体験により直接的に感じ取ること、人間相互の共感能力を挙げる。その上で、人類と地球が直面する多くの差し迫った課題に対処するには「人間中心のデザイン」を超えていく必要があるとし、アフォーダンス、バイオミミクリー、合成生物学といった新たな知見を取り上げる。


「しかし」、と著者は言う、「私が最も心を動かされるのは、日常の簡素なデザインの事例である」。著者が「相互主義の思慮深い行為」として掲載している写真は、鎌倉駅の屋根部分にある段ボール製の棚である。この「間に合わせの棚」は乗客を鳥の糞から守り、まだ動きがぎこちないひな鳥が地面に落ちてしまう危険に配慮したものである。


人間中心のデザインから、生命中心のデザインへ──40年にわたりデザインの仕事に携わってきた著者が提唱する「未来のデザイン/デザインの未来」。


ジェーン・フルトン・スリ
認知心理学者・木版画家・IDEO名誉パートナー

1952年、英国生まれ。マンチェスター大学にて認知心理学を修め、1976年にはストラスクライド大学から建築学修士号を授与された。消費者安全調査のスペシャリストとして初採用された後、サンフランシスコのIDTwo、IDEOに、ヒューマン・ファクター能力を全社的に確立するために参加。アメリカ合衆国、ヨーロッパ、日本で、消費者、健康、テクノロジー製品およびサービスの分野でクライアントのために働き、人間中心アプローチの先駆者として、現在ではデザインやイノベーションにおいて世界で用いられている共感的観察や体験プロトタイピングの技術を開発。著書多数。主要なものとして2003年のIDEO’s Method Cards、2005年のThoughtless Acts?(邦訳:『考えなしの行動?』森博嗣訳、太田出版、2009年)がある。IDEOのグローバルコンシューマ体験業務を共同で牽引し、旅行者、運転者、学習者、住宅購入者、そして金融商品・保険・ヘルスケアのプロバイダと交流する者のための、ツールとサービスをデザイン。カリフォルニア大学バークレー校とスタンフォード大学で教鞭をとり、IDEOU初のオンライン・コース『Insights for Innovation』の創設インストラクターも務めた。2009年には、ゲイリー・ハストウィット監督による、デザインを扱ったドキュメンタリー映画『Objectified』に出演。2015 年までIDEOの共同チーフ・クリエイティブ・オフィサーを務め、生命中心のデザインのアイデアと実践を紹介。自然と生物学からの観察と原則をシステム、サービス、組織デザインのクライアントワークに適用。2014 年にIDEO’s Nature Cardsを上梓。現在は名誉パートナーの称号を得て正式には引退した。今でも自然とデザインへの関心を持ち続けつつ、コンサベーション・インターナショナル、Liko Lab、無印良品などの組織で、自分が関わったアイデアを推進する元同僚たちとの非公式なつながりを、数多く楽しんでいる。

ナッピングとは、任意の石を加工し、徐々に道具の形にしつらえるための比較的単純な技で、過去300 万年にわたる人類の進化の中核となる石器製作技術である。イスラエル南部のネゲブ砂漠を訪れた著者は、石器から数々の人類史的な出来事を読み取る。


「自然との一体感」と「バイオフィリア催眠」は自然や生命との絆を求め、アイデンティティとして進化したその傾向を意識的に保とうとし、人間の生来の傾向を浮き彫りにすること。個人が自然とより深く関わることはその人の幸福度の向上と相関していること。石削りは私たちが「フロー状態」(集中し、深く関わり、活動の過程そのものを楽しみ、我を忘れて没頭している精神状態)になるための最も古くからある手段であり、それは我々の祖先も共に持っていた精神状態である可能性が高いこと。手斧の「対称化」という現象は、美的感覚の発達や交尾·求愛と結びつく可能性があり、骨と肉を切り分けるという本来の用途をはるかに超えて、考えを伝える媒体になる実例の始まりであること。イスラエルで見慣れていた石でできた構造物が必ずしも自然の産物ではなく、何十万年も前に人類が人工的に切り出した痕跡が浸食されてできたものであり、「人新世」は通常、約1万年前の農業革命から始まったとされているが、サハラ砂漠中央部のメセック·セッタフェット地域のような採石の結果として景観が大規模に変化したことを示す証拠の存在は、人新世の開始年代が数十万年前に遡る可能性をはらんでいること──etc.


熱いネゲブ砂漠で著者は言う。「私はとてつもなく昔に誰かが作ったものを手にしながら、避けがたい縁を感じていた。まるで犯行現場に立ち会ったかのような好奇の目で見回すと、恐らく劇的な狩りの末に大型動物がここで殺され食肉に捌かれたのだろうと思えた。しかし、誰もいない谷は静かで平和だった」と。


さりげなく書き付けられた「平和」という言葉から、私たちが読み取るべきこととは? 次の一文には、そのヒントがある。


「人新世に対する私たちの現在の見方が、私たちの活動が地球にどのような影響を与えたかに焦点を当てているとすれば、そのコインの裏側は問いかける──周囲の環境は私たち自身をどのように形作っていこうとしているのか」


人類史に「平和のデザイン·サイエンス」をさぐる。


ドブ・ガンチロウ
プロダクトデザイナー・ベツァルエル美術デザイン学院准教授

1970年、アメリカ合衆国、イリノイ州生まれ。プロダクトデザイナー。1993年、エルサレムのベツァルエル美術デザイン学院インダストリアルデザイン学科卒業。現・同学院准教授。趣味はフリンジ、オルタナティブ・ミュージック、テクノロジー作成、刃物、武術、高地トレッキングなど。これらに対する関心により、人新世について、また、生まれと育ちの間に存在する個人のアイデンティティについて熟考する基盤が形成された。15年以上にわたり、独立したデザイナーとして故アミ・ドラック教授とコラボレーションし、医療、消費者、家具、博物館展示デザインなどの分野にわたる多様なデザインプロジェクトに取り組む傍ら、より個人的、実験的、概念的な作品を制作。ニューヨーク近代美術館(MoMA)、ポンピドゥー・センター、スミソニアン博物館のクーパー・ヒューイットなど、数多くの国際的な会場で作品が展示されてきた。また、ニューヨーク美術デザイン博物館(MAD)、ニューヨークのユダヤ博物館、イスラエル博物館、スイスの現代デザイン・応用美術館(MUDAC)、ポンピドゥー・センターなどの個人コレクションや美術館コレクションに作品が収蔵されている。制作したデザイン作品の特徴として、素材や技術の知的な使用と操作、既製品の取り込み、そしてユーモアが挙げられている。

平和とは何か? 心の病からくる正体不明の不安を抱える著者は、「私の平和」から平和についての考察を開始し、Tranquilityという言葉に注目する。「平穏」「落ち着き」「静寂」という意味であるが、「ただ単に戦争状態に無い」「混乱が無い」という消極的な定義ではなく、第一義的には積極的に平衡状態を作り出す「生まれ出ずる」平和である。


心の均衡を保つために編み出されたものには様々なものがある。いわゆるトランキライザー(Tranquilizer)と呼ばれる薬、鍼治療、灸、ヨガ、座禅、マインドフルネス。あるいはWell designedな音楽の鑑賞や、Well designedな環境に身を置くこと。


そして著者は、自身のアフォーダンス研究のテーマであるアニメーションから、Well designedMal-designedという対照を提案する。「相応·整う」/「相応でない·整っていない」という対比に続けて、著者は私たちがMal-designedなデザインに鈍感になっていること、難しい論文は書けてもデザインができない大学生のあり方、そしてその根源にあるであろう「デザイン教育の不在」に警鐘を鳴らす。


「良いデザインは、良い環境、社会、地域を作り出す可能性を直接的に持つ、生命の基盤である。このことに気付き利用できるようになれば、人はもっとより良い方向へと舵を取ることができるだろう」──


「戦争·混乱が無い」平和ではなく、「作り出す·生まれ出ずる」動的平衡の平和へ向けた提言。


佐分利敏晴
生態心理学者

1973年、東京都生まれ。1995年、東京大学薬学部薬学科卒。同年、薬剤師免許を取得。その後、同大学教育学部を経て東京大学大学院教育学研究科に進学、佐々木正人教授に師事する。薬剤師として働きつつ、日本アニメーション学会理事を務めながら2006年博士号(教育学・東京大学)取得。博士論文題目は「視覚の原理とアニメーションの解析」。現在フリー。著書に『アート/表現する身体──アフォーダンスの現場』(共著:第6章、東京大学出版会、2006年)、『今日を生き延びるためにアニメーションが教えてくれること』(佐分利奇士乃〔さぶり・くすしの〕名義、学芸みらい社、2018年)がある。本財団の刊行書『DESIGN SCIENCE_01』(学芸みらい社、2023年)では英訳の全てを担当。

「平和のデザインについて語ろう」──


著者は言う。「デザインは本来、世界をより自由で、より豊かに、より面白くするものだったはずだ。平和を志向しないデザインは名辞矛盾に等しい。自然界のデザインに悪意は微塵も感じられない。悪意のデザインを平気でできるのは人間だけである。たとえ悪意のデザインが一時、栄華を誇ったとしても、早晩淘汰される運命にあるだろう。……残るべくして残り、自然に溶け込む『建築家なしの建築』『デザイナーなしのデザイン』は溜息が出るほど美しい。無駄が無く、環境に負荷をかけず、自然とともに倹しく生きる人間の営みが過不足なく素材と形に結実したものばかりだ。人間はこういう美意識を本来持っていたはずだ。ヒューマニズムと言い替えてもいい」と──


バックミンスター·フラーを導きの糸として、ワトソンとクリックによるDNAの二重螺旋の発見、著者自身の発明になる「民主主義的階段」など、悦ばしき知とヒューマニズムに溢れた「デザイン·サイエンス」の数々の発見·発明·実践を紹介。平和のデザイン、形而上のデザイン、分配のデザインへと議論を深め、来たるべき「デザイン·サイエンス教育」を提言する。


日詰明男
幾何学アーティスト

1960年、長野県生まれ。1987年、京都工芸繊維大学建築学科卒。幾何学アーティスト。武蔵野美術大学特別講師( 2008年)。龍谷大学客員教授( 20092023年)。多摩美術大学非常勤講師(2023年)。津田塾大学交流館プログラム講師(2023年)。黄金比に代表される無理数の準周期構造に魅了され、40年来、幾何造形、建築、音楽等の分野を超えた研究/表現活動を続けている。主な作品は、「GOETHEANUM 3(建築案)」、「民主主義的階段」(U.S.A.、ニュージーランド)、「黄金比の茶室」(コスタリカ、京都、U.S.A.、静岡)、「準結晶彫刻」(埼玉、東京、オーストリア、U.S.A.、ブラジル、山口)、「フィボナッチ・トンネル」(京都、東京、大阪、ロサンゼルス、山口)など。個展として「inter-native architecture OF music」(2004年、東京ASK?、京都IRC)、「FIBONACCI DRAGON」(2006年、東京ASK?)、「星ボックリ茶寮」( 2008年、京都芸術センター)など。1990年代に準周期的音楽理論を発表。その実践としてポリリズム作品「フィボナッチ・ケチャック(たたけたけ)」のコンサートやワークショップを国内外で開催し、インタラクティヴ・ソフトウエア開発、手回しオルゴールの発明へと展開している。日本現代藝術奨励賞(1998)、大阪国際デザイン・コンペティション銀賞(1999年)受賞。著書に『生命と建築』(私家版、1990年)、『音楽の建築』(Star Cage、2006年)がある。

「灰色はより広く、より曖昧で、より複雑な意味合いを持ち、定義されず、さまざまな色合いや濃淡がある。現実はいつだって複雑だ。すべてが白か黒かというわけではない。現実は灰色である」──


古いものと新しいもの。良いものと悪いもの。黒いものと白いもの。過去の経験や知識と新しい知見。進化と積極的退化。慣れ親しんだものと異質なもの……。著者は私たちの知覚がいつでもこうした対比とともに、あるいは対比のなかにあることに注意を促す。


そして、「特にデザイナーは世界の中で動き回り、異なる視野でモノや環境、人間関係を深く検討すること、そのためには身体的·精神的な動きが必要であり、オブジェクトとその進化や退化を観察し続け、人を、環境を、そしてそれらの関係を理解しなければならない」と語り、次のように続ける。


「平和は戦争の進化形である。それは、あらゆる側が交流し、人類と人間の思想の複雑さと多様性を理解するようになって初めて実現する。戦争は真っ黒だが、平和は灰色である。灰色は生命と平和への、より自然で正しい答えだ。……平和は、他の全てのものがそうであるように、『デザインされたもの』である。それは、絶えることなく応える連綿と続くプロセスである。デザイナーと科学者は『これ』を、より耐久性のある高品質なものに改良できる能力を持っている。私たちや政策立案者の見方、考え方、感じ方、そして究極的に行動を変えることによって、人生(いのち)の平和のデザインに大きな違いを生み出すことができる」と──


デザイナーによる、デザイナーだけが証言できる、「平和のためのデザイン×サイエンス」の核心。


ニツァン・デビ
デザイナー

デザイナー。1982年生まれ。2008年にイスラエルのホロン工科大学(HIT)でインダストリアルデザインの学士号を、2011年にイスラエルのベツァルエル美術デザイン学院にてインダストリアルデザインの修士号を取得。学士号取得後、ケーター・プラスチックスに入社。2011年、リオラ・ロージンとともにStudio Betを設立、デザイン展、プロダクトデザイン、クラフトプロジェクトに注力。2013年、文部科学省のデザイン研究奨学金を得て来日。2015年、Naoto Fukasawa Designに入社、東京オフィスで5年、テルアビブオフィスで4年を過ごす。現在、ベツァルエル美術デザイン学院インダストリアルデザイン学科の新しく選出された学科長であり、また、同アカデミー講師。現在、オブジェクトへの控えめで人間的なアプローチで、家具、照明、インスタレーション、展示会など、さまざまな分野の探求を楽しむと同時に、デザイン、文化と、科学や生物学といった他の学問分野との関係について探求している。