2022年4月、イスラエル。テルアビブの空港係員たちの見事な連携。街中のレストランのウエートレスたちの的確な対応。カフェで出会った、木の皮をむいただけのスツール。世界的レストラン「ノマ」の前ペストリーシェフが見せてくれた「四角いジュースの塊」のようなオレンジの写真……。人々のネットワーク、出来事、そしてモノたち。ここにある、経験に裏付けられ、その場の対応や発言にひそむ何か。心を打ち、和ませ、思考を触発する何か。それはデザインでありサイエンスでもある知、デザインとサイエンスの邂逅が創発する「機智」と言うべき何かではないか──。
「私たちは過去に例のない飢餓に陥っている。美の欠落にさらされ、失われた景観、凡庸で実用主義の建築、人間の手仕事や配慮が感じられない品々にさらされながら暮らしている」(ルイジ・ゾヤ)。
身体感覚や感受性の劣化に抗し、人間の美しい未来に向かってゆっくりと舵を切る「デザイン×サイエンス」の新たな知の探究を宣言する。
DESIGN SCIENCE_01 概要
ご寄稿頂いた論説の概略を以下に紹介します。
雨粒、雪、生体鉱物など、自己組織化する結晶たち。重力の方向、温度・湿度、物や土など周囲を探りながら伸張し、あらゆるところが回旋する植物たち。その鋭い「嗅覚」と「神経なしの知能」。フンの匂いの濃度を知覚し、巨大な巣をつくりあげるアフリカシロアリ。植物や動物はみずからを包囲する環境の「勾配」を知覚し、行為する──。
惑星の軌道計算にはじまるとされるサイエンスは熱力学と進化論をへて、周囲の「マクロ」=地球環境で生きるものを包囲する「中規模なこと」を観測する領域になった。分子のようなミクロがつくる乱雑さであるエントロピーが増大してあらわれるマクロを探る熱力学。水面の小さな波、一個の顔にあらわれる表情……。創発し、転移するこうした中規模のマクロの相を探る非線形科学。サイエンスはいつでも、周囲の「デザイン」を観測している。
デザインとサイエンスが、ひとつの同じ仕事の別の名前であることを提唱する「デザイン・サイエンス」の思考。その原理を生態心理学の視点からやわらかく解き明かす。
オレンジ色から茜色、ピンクから様々な紫色を経て、大空が透明な青に支配される時間帯、薄暮。「ブルーモーメント=青の瞬間」と呼ばれるこの詩的な時空間に起こる美しい情景の魅力を、室内照明や夜の街並みにも人工光を用いて再現するには。
20世紀後半に起きた照明環境における「ボタンの掛け違い」。光と人間の間の正しい関係=知覚のメカニズムの崩壊。照度と輝度(明るさ感)の違い。光源が持つ「青→白→黄→朱→赤」に至る「色温度」の重要性……。
世界的な照明デザイナーである著者は言う。「自然光が教える光の科学と芸術の関係を深く学習すること。照明デザインを職能としてから45年、ずっとそのことだけを自問し続けている」「照明デザインを『光のデザイン』または『陰影のデザイン』と言い換えて自分の職能を紹介している」。
飛躍的に進歩する五感のアカデミズムである「光の人間工学」によって、光という物性の研究から視覚心理学や環境心理学などに基づく光と人の快適性についての考察へと深化をつづける照明デザイン──。その最前線への招待。
トゲが埋め込まれた鉄製の椅子、水責めの漏斗。プラハの中世拷問博物館に展示されている、魔女狩りで使用された拷問器具の数々。これらの「プロダクト」が備える要素を著者は「懲罰性」と名づける。あるいは刑務所や拘置所の、不潔でプライヴァシーのないトイレ、暗い照明。ここにも懲罰性が満ちている。しかし人々は刑務所の建築やプロダクトのデザインの向上を許そうとしない。この不寛容は、自身の日常的な居住空間が懲罰性の高い粗悪なプロダクトに取り囲まれているという、資本主義体制下での貧困と理不尽に由来する──。
求められているのはプロダクト・デザインの水準の全体的な向上であり、使用感に快感があり、その美的な意匠が精神的満足を与えてくれる「報酬性」に富むデザインである。私たちを解放し、ストレスを感じさせないプロダクトとは、徹底して身体の姿勢と運動とに最適化されたそれである。そしてその理想とは、プロダクトの存在そのものがユーザーの意識の外側に「消滅」する瞬間を創造するデザインではないか──。
プロダクト・デザインが負うべき倫理性と政治的課題。その核心を照射する省察。
アイスランド、デンマーク、ノルウェー、マレーシア、シンガポール、そして日本と、世界各地の都市像と構築された自然・自生する自然を観察し、対話や制作の場を創出する『きわプロジェクト』を著者は展開してきた。「きわ(際)」とは空間的な境界線、事物が変化する極限的な瞬間であり、まったく異なるものが表出する瞬間を捉える極限の感覚の閾を想起させる
著者は言う。「デザインという言葉を思い浮かべるとき、そこには「兆し(サイン)」を捉える行為を想像する。……デ・サインという行為は、なにものかもわからぬ存在の兆しに目を凝らし、動き、触りながらその突起や裂け目を探り、点と線を繰り返し引き直しながらその実態を際立たせていく身振りだと感じている。おそらく目の前の実態のわからぬそれは、決して理解しえぬ存在であるけれど、相互に作用し合うなにかであることは確かで、それに対峙する感受性を育んでいくための術がデザインではあるまいか」。
知と未知の「きわ」を照らしだす、来たるべき「デザイン×サイエンス」の光芒。
パノプティコンを実装した刑務所、それを転用した近代以降の学校教室。20世紀のデザイン史を見つめなおす時、デザインの想像力・創造力と権力・暴力の結びつきを看過することはできない。しかし、と著者は問いかける。未来に向かいつつも過去への眼差しを内包することを迫られているデザインと、過去に向かいつつも現在に応答し未来へと働きかけることを切望する人類学をかけあわせることはできないか──。
この視点からレヴィ=ストロースの「具体の科学」やベイトソンの「クレアトゥーラ(生きたもの)の学」の含意を検証。現在の欧米圏で進みつつある、デザイン人類学というタイトルを冠した書籍の刊行や、企業による人類学者や社会学者の採用、公共政策の現場へのデザイナーと人類学者の参画など、デザインと人類学が協働する様々なケースを紹介。未来を大きく変える力をもつデザインを共に議論し、プロダクトやサーヴィスの開発と実装に携わることで喫緊の課題に深く、脱暴力的に応答するデザイン人類学(Design×Anthropology)の可能性を提言する。
虫、鳥、動物などの生きものや植物のカタチは、それらが生きている環境と、他の生物たちとの競争・共生といった要因間の均衡の境界としてあらわれるカタチである。そして天空のオーロラ、変幻自在の雲、蛇行する川、山並み、玉砂利が続く海岸、巨岩といった自然景観もまた、様々な物性の均衡状況として現れるカタチである。こうした様々な現象はコンピュータ・シミュレーションによって「近似のカタチ」を再現することができる、とされるのだが──。
C・アレグザンダー『形の合成に関するノート』『パタン・ランゲージ』『ザ・ネイチャー・オブ・オーダー』が展開したカタチのロジックの解説を縦糸に、そして日本列島における縄文土器や土偶、アイヌ民族の工芸や文様に遺された世界観と願い、環境に立ち向かい、折り合いをつけようとした人間たちの素朴で強い感情を照射しようとした岡本太郎『日本再発見』や柳宗悦の民芸発掘の考察を横糸に、私たちの時代における調和と統合のメカニズム、新たなカタチの科学と方法論を展望する。
OECD諸国内で、二酸化炭素を排出しない再生可能エネルギーの開発や電気自動車の普及率などで大きく後れをとる日本。かつて「Japan as No1」を謳歌していた日本が、近年では国民平均所得などの豊かさの経済指標において先進諸国比較で見劣りする状況に。「退化の道」を抜け出すヒントとは──。
ダーウィンによるミミズと土壌の研究。南極の氷床の厚みの変化などから地球温暖化を予測した環境学者の研究。アフォーダンス理論の研究者・佐々木正人氏が観察した、現代の光学・音響などの物理学では解き明かせない視覚や聴覚の現象。近年、配信されるようになったハイレゾ音源やコンサートホールの特等席にいるかのような3Dサウンド。そして深澤直人氏のデザインによる椅子『HIROSHIMA』の美しさと座り心地の良さの秘密……。
時を超え、現代科学では十分に説明することができない事象を眺め直すこと。そこにモノの本質が見えてくる可能性がある。今こそ、新たな気づきとプロダクトを創発する「デザイン×サイエンス」の知へ!
今から半世紀ほど前。極微弱吸収スペクトル測定装置という、当時、最先端の装置を駆使し、筆者らの研究チームは無色透明と思われていた水が非常に薄い色をもつ液体であり、わずかではあるが光を吸収することを発見する。
そしてこの発見は、「海の水はなぜ青いか」について、空の青が映っているから……等々の既存の諸説のすべてを覆した。水の中を長い距離、進行した光の色は青色となるため大量の水をたたえた海は青く見える、つまり「海の水が青い」のは「海の水」そのものが青いからである、と。これはまた、イタリア・カプリ島の“青の洞窟”の「濃い青」、パタゴニアの氷河の「明るい青」の神秘を解き明かすものであった。
昔からずっと「海の水は青く」、「空の色も青かった」。神々が自然をそのようにデザインしたからである。しかしその理由を人間が理解したのは20世紀に入り、サイエンスの力を借りてのことである。筆者は言う。「海の水はなぜ青いかを理解したとき、私はとても幸せな気分になった」と。「光の厳密科学」の成果から、デザインとサイエンスの関係、そしてその美しく豊かな未来像を証言する。
「脳機能×デザイン科学」の解とは──。著者は脳波から得られたカオスアトラクタ(軌道)とTHE DESIGN SCIENCE FOUNDATIONのロゴとの相似点を視覚化して紹介した。両者から、脳機能とデザイン科学と の接点を直観できる と。
さらに、心をめぐる話題。心の病気による休業者が今世紀初頭から最近まで増え続けている。なぜなのか、環境かヒトか。近年はヒトの環境適応のメカニズムを社会脳の一部として解明しようとする研究が注目されている。例えば、心理神経科学者のM・リーバーマンは、哺乳類は社会的な動物として進化し、その過程で脳内に社会行動を支えるネットワークが生まれ、つながる・心を読む・調和する、の3つの脳力を獲得した、と指摘した。この社会脳機能と心の病気との関係性など新たな視点を導入して脳と心への探求はまだまだ続く。本稿では、「デザインを生み出す脳」と「デザインを受け止める心」からデザイン科学の周辺に触れてみる。
「デザインという営みの中で、人は、姿、かたちを創造し、新たな役割やその物の存在を具体化させていく。……共感を備えた、共有の価値に繋がるデザインの源泉に私たちはどのようにして触れているのだろうか」──。
このように問う著者は、数学者岡潔の「不一不二」、水生動物の「水覚力」、自由意志についての脳科学の実験、テオ・ヤンセンの空気の動きや状態に応じて動く作品「ストランド・ビースト」、そして日々の暮らしの中での自らの体感……これらの言葉や科学的事実、様々な事象に複数の注意を配りながら、感覚的で不確かで非科学的な能力と考えられているデザインという行為について、「自分でも気がついていない周囲との繋がりを知っている身体」と「身体を包囲するMedium」、その曖昧な境界、二つで一つであるようなあり方、その諸相の奥底へと思考を深めてゆく。
「デザインにはその根拠、生活の様々な断片やその全ての洞察から察知した道筋が必ずある」──。かたちそのものを考えるのではなく、Mediumの動きからかたちを考える「Ambience Design」宣言。